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「いつもこうして皆で迎えれるクリスマスー これこそ本当のメリークリスマスです。いつの日か大人になっても、大切な子供の頃の思い出をひもといてみてくれたらなと思います。。パパ&ママ」 幼い頃、母が手作りして、プレゼントと一緒に渡してくれたクリスマスカードを全部大切にとってあって、18歳でイギリスに住むことになった時、なぜか荷物にいれて持ってきた。 クリスマス近くになると、2才の時もらったサンタクロースの絵本と、母のカードを出して、読み返す。 4年前母が逝く前、最後のクリスマスに、2歳のアンのために送ってくれたブーツのお菓子入れや、ミュージックがなる雪だるまのカードももちろん大切にとってあって、 この季節がくると子供部屋に飾っておく。 このカードの、母からアンへの最後のクリスマスメッセージも、同じようなことが書いてあった。 「家族みんなでお祝いできることが、何よりの贈り物」ということ。 家族みたいな、大切な日本人の友人が、先日この世を去った。 突然の知らせだった。 私の母と同じ誕生日の彼女は、母と同じ病気で、36歳という若さで逝ってしまった。 男の子3人の母だった彼女。 一番下の子はまだ2つになったばかりで、パートーナーとも結婚生活7年という短さだった。 日本から来ているご両親のことも想って、お膳に質素だけど栄養のある和食を作って詰めて、 給食のおばさんみたいに大量のポタージュスープを鍋いっぱいに作って、 イギリス人のパートナーの彼と彼のご両親もいるから、マーマレード風味の大きなハムも焼いて、持っていった。 みんなで「お正月みたいだね」と微笑みながら食べてくれた。 クリスマス前に、彼女の身体を葬ることになるとは夢にも思っていなかったけれど、 私は死が終わりではないことは、知っている。 身体を持ってして、もう一緒に笑う時間を持てないことは、胸が張り裂けそうに辛いが、 何よりも残されたファミリーを、彼女がこの世でできなかった分、私達がリミットレスに守っていこうと思う。 この季節のもたらす光が、皆ひとりひとりのハートに、平和の灯火をつくりますように。 #
by annebm8
| 2012-12-19 19:38
| mind
今年新入りのツリーオーナメントは、Beが秋に出張先で買ってきてくれた木のおもちゃ達 あとは、アンが選んだフェアリーと、ウーが選んだロビン。 今年は飾り付けは主に子供達が2人でやりました。 アンのシルバニアンファミリーの人形も、なぜか何個がのっている(笑) ツリーの下にはウーのおもちゃの車も何台も停まってる^^; 少しずつ、部屋の絵画をクリスマスらしいものに換えたり、 サンタクロースやスノーマンの絵本も出したり。 キャンドルは特別なウィークに使うように、それまでフェアリーライトも私は好きなので、 今年は新たに子供の時の思い出で懐かしい、カラフル色のライトも買いました。 火の光も、ライトの光も、この季節は本当に美しく見えます。 クリスマスのCDも、もう日課のように毎日子供達がつけるから、 今年も新しく好きな曲がまた増えたなあと幸せに思ったり。 今年も終わるなあ。 #
by annebm8
| 2012-12-11 07:25
| mono
庭の林檎を使って、義母さんが作ってきてくれたアップルクランブル。 お菓子作りはほとんどしない義母さんだけど、クランブルだけは特別に上手で、同じレシピで作っても同じようにできない。 おにぎりと同じで、手を使って指でバターと小麦粉をこすり合わせるから、きっとその人その人「味」が変わるのかもしれない。 何度作っても義母さんのみたいに美味しくできないので、クランブルはいつもお願いすることに。 日本へ送るプレゼントを買いに行ったり、包んだり、カードを書いて、郵便局へ走って、また何か忘れたから出向いて.. 慌ただしい12月のはじまりです。 スクールもナーサリーもクリスマスイベントで盛り沢山。 あっちに走ったり、こっちに走ったり、ニット帽下の額にいつも汗をかいている私。 義母さんが毎年クリスマスプディングを作って、早々持ってきてくれます。 涼しいところに保存中。 去年は怠けて、ケーキも義母さんからもらいました。 クリスマスケーキ、一昨年自分で作ったけれど、イギリス人のBeが小さい頃から苦手ということで(プディングは好きなのだけど)、いつも「チョコレートログの方がいいな」と子供みたいにねだるので(笑)、今年はどうしようかと考え中。 さてさて、今度は国内の友達、親戚などへのカードを書いて、クリスマスツリーはまだの我が家。 デコレーションは今年は1日に1個出すという、スローペースにしてみました。 ツリーは今週末です。 #
by annebm8
| 2012-12-04 21:05
| heart
両親が25年間食器とインテリア雑貨の店をやっていたので、 輸入ものと同じくらい、色々な窯元と作家さんの和食器も家でも使っていた。 外国に憧れる思いから、輸入ものの方がなんとなくずっと惹かれていたけれど、 年を重ねるにつれて、和食器の魅力も感じるようになった。 陶芸家といっても、仕事として食べていくのはやっぱり大変だったようだけど、 彼の根っからの職人気質とセンスと、彼の片手である姉の存在で、 今ではまた2人と愛猫1匹で大好きな京都に戻って、彼は陶芸を仕事に暮らしている。 兄が私達家族のために、時々特別にすごく使い易くて、デザインも渋くて、繊細なまでに丁寧な器をつくって、送ってきてくれる。 それはお茶碗、湯のみだったり、子供用のカップや、お香立てだったり、大皿やスープボウルだったりする。 先日はウーとアン用の可愛いごはん茶碗も送ってくれた。 義兄とBeは初めて会った時からとても相性がよくて、 以前帰省した時に彼の使っていたスタジオで、Beは陶芸を彼から習って楽しんでいた。 「どんなに高くて良い器も、日常どんどん楽しく使えた方がいい」ということを母もお店のお客さんに毎回言っていたし、また磁器や陶器によって洗い方や手入れの仕方をひとつひとつメモに書いて包んでいた。 子供にもある程度年齢がきたら、プラスチックなどのプレートばかり使わせるより、 スプーンで強くぶつけたら欠けたり、落としたら割れる器で食卓を彩った方が、 自ずと気をつけることを学んだり、また食事の楽しみも増える。 私も小学生の時から、週末食器棚から自分で好きなカップ&ソーサーを選んで、 母と一緒に紅茶を飲んだ。 どんなにいいものでも、古いものでも、母は使わせてくれた。 そしておっちょこちょいの母はよくいいものを割っては、がっかりしていた。 あんな性格でよく食器屋なんてやっていたと思う。 義兄も「毎日どんどん使ってほしい。壊れたらまた作ればいいのだから」と言ってくれる。 アンとウーも「Yのお椀!」と嬉しそうにいつもごはんを食べる。 次回帰省する時には、京都にみんなで足を運んで、子供達と一緒に陶芸をしてみたいなと思う。 #
by annebm8
| 2012-11-27 21:05
| mono
親だって人間だから、ずっと天使のようにいれるわけじゃないし、 自分の疲れや不調やフラストレーションを怒りにかえて、子供にあたってしまうことだってある。 怒りのこもった「もうちょっと待って」とか、「どうしてそんなことするの」の言葉は、 真っ赤な火のボールみたいになって、子供に向って投げつけてしまう。 病気などでどうしても機能できないときは仕方ない。 でも、自分の中で、子供に縛り付けられて自由になれないと考えてしまうことからくるフラストレーションを、火のボールに変えることは、できれば避けたいなと思う。 子供との日々は単調な船の旅のようでありながら、同時にブレーキのきかないスポーツカーに乗っているよう。 あれもしよう、これもしたい、日常の中で雑用と欲望にひたすら追われていると、 子供との時間が重荷や苦痛になってくる。 子供は子供らしくただあるだけで、子供の仕事は親の愛情をしきりに望むこと、そして楽しみを探ること、それだけなのに、その在り方を問題としてしまったり、突き放すことで親の自分だけを楽にしてしまう。 まず洗濯をして、食器を洗って、テーブルを拭いて、子供をあやしながらトイレに連れて行って、着替えさせて、汚れた床を拭いて、おもちゃを片付けて、そして次の食事の用意をして.. 永遠に続くリストを片手に、頭の中は、本当は静かにコーヒをいれて一息つきたいとか、 今あの人にメールを書きたいとか、庭の手入れをしたいとか、あの棚を整頓したいとか、 そういう自分の欲望まであるから、愛情を欲しがるのが仕事で生きている子供のハートと、かみ合うわけがない。 かみ合わないから、ただ苦痛になるし、面倒になるし、ストレスになる。 そういう時は、自分の欲望はもちろん、リストも破り捨てる。 子供に従ってみる。 母親なんだから、と固く構えるのではなくて、反対に子供に戻ってみる。 子供みたいに、子供と遊んで、「Who cares」と思ってみる。 子供のマインドは今しか集中していないし、 未来のことも、過ぎたことも、全く気にしていない。 気にしていないから、今を思い切り楽しんでいるし、 あちこちがちょっと汚れていたって、散らかっていたって、 数分前に怒られて泣いていたって、 たいして重要でないことをさらにもっと先送りにしたって、 忘れてしまったってかまわない。 人生大半のことは、実はさほど重要でもないことを、みんな本当は知っている。 ポケットが大好きな子供が、ポケットに無意味に色々と詰めるように。 「どうしてこんなにいっぱい入れるの」「こんなの持って行けないでしょう」と思うのは大人だけで、子供は何でもどんどん詰めていく。 先のことなど考えないし、楽しければそれでいい。 次の日には忘れてしまって、ポケットの中身も落ちている。 そういう潔い楽しみ方と、切り替え方を、子供は本能で知っている。 あくせく子供に振り回されていると勘違いする前に、 ちょっと待ってみる。 今に全てを合わせてみる。 自分の拙い欲望がすっと去って、子供と自分がつながる感じがする。 自分だってかつて持っていた本能とシンプルな在り方を思い出して、 暮らしの中でただ今目の前にある本当に必要なことだけをこなして、 優しくいれる瞬間が増えていく。 #
by annebm8
| 2012-11-22 21:06
| mind
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